プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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インド軍、イエティの足跡発見と発表-令和初日のトンデモニュース

 なんとなんと、令和の初日から(別に合わせたわけでもあるまいが)とんでもないニュースが掲載された。

 ネパールに山岳遠征したインド軍の部隊が、縦81センチに及ぶイエティの足跡を発見したというのである。

jp.reuters.com


 しかしこれ、軍の「公式発表」とは言えツイッターへの投稿であり、報じたロイターの記事のカテゴリも「世界こぼれ話」であるなど、なんとも響きが軽い。

 そうは言っても軍が発表したことには変わりないだろう――

 との受け止め方もあろうが、世の中にはUFOファンなら誰知らぬ者もない、「ブラジル軍が公式に認めたUFO」というのもあるのである

 これはインド軍の勇み足かジョークか、それともよほど根深くUMAXファイルのファンがいるのだろう……

 と、推測しておく。


 ところでイエティについては、2017年にその正体はクマであるとの学者からの発表があった。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 その記事の繰り返しになるが、イエティほどの大型生物が本当にいるとするならば、足跡の発見だけでは済まないだろう。

 最低でもその頭数は100~200は必要だろうし、それだったら1頭くらいは捕獲されていなければ不自然なのだ。

 はたしてこれは、インド軍の1ヶ月遅れのエイプリルフールなのか。

 それとも令和を迎えた日本へのイキな無料のプレゼントなのか。(そんなわけないが)

 しかし一応は、続報を期待したいニュースではある。

(往々にして、続報はないのだが……)

平成の大晦日-改元の経済効果と「去りゆく王に花束を」

 平成最後の日、2019年4月30日。

 おそらく大半の日本人がそうだと思うが、まるで大晦日のような感覚である。

 私にしても、RIZINを見ていないのが不思議なように感じてしまう(笑)

 4月30日なんていう何でもない日なのだが、まるで1年の終わりのような――

 いや、それよりもっと大きな終わりのように感じるのがまともな感覚というものだ。

 
 4月30日は、全国的に雨か曇りだったようである。

 思い返せば、昭和最後の日の1989年1月7日もこんな天気だった。

 あのテレビのブラウン管(液晶テレビではなかった)の真っ黒な地に「天皇陛下崩御」と大きな白抜き文字で出たときから、もう30年以上経つのだ。

 そう思うと、やはり元号は時代の区切りとして心情的・記憶的にあった方が良いのだろう。

 こんなことを言うと不敬だと思われてしまうが――

 新天皇はいま59歳、おそらく令和の時代は30年も続かない。

 菅義偉官房長官も「今回の退位は前例になる」と言っていたことだし、きっと次も生前譲位になるはずである。

 ということは、元号は20年から30年で切り替わることになるが……

 これは時代の変わり目として、かなり妥当な間隔ではあるまいか。  

 
 ところでこのブログでは、仕事の文書なんかに「元号だけ」を書くことを国賊行為だとか言ってきた。

 そんなことは明らかに「何年経ったか」「何年前か」調べなきゃわからなくさせ間違わせ、日本の仕事の効率をどうしようもなく落とすからである。

 しかし同時に言ってきたように、別に元号を否定するわけでは全然ない。

 先に述べた心情的・記憶的なこともあるが――

 それはそれとして、世はまさに「令和フィーバー」「さよなら平成フィーバー」になっているではないか?

 あなたも他の誰も彼も、街角で「平成最後の大セール」「改元記念セール」なんて文字を見なかったはずはない。

 私としては、こんなときこそ「改元の経済効果」というやつを出してほしかったものである。

 つまり明らかに、改元すなわち元号の存在はビッグ商業イベントになっている。

 こんなのなくしていいんですか、と思わない人っているのだろうか。


 きっと反天皇の人たちや反元号の人たちは、この改元フィーバーぶりをどうしようもなく苦々しく思っているはずである。

 しかし現実はこのとおり、やっぱり多くの国民は改元と代替わりにフィーバーするし、少なくとも何らかの感慨を抱きはするのである。

 これはやっぱり素直に見て、反天皇派の敗北と言うべきではなかろうか。

 戦後74年も経ってもまだ反天皇派がこのていたらくであるのは、左翼陣営にとってつくづく反省すべきことだろう。

 
 私は平成は、非常に良い形で幕を閉じたと思う。

 これからは生前譲位が慣例になるとも思う。

 結局このたび天皇が生前譲位の意思を通したことは、メディアにとっても経済界にとっても国民全般にとっても、良いことづくめだったと思う。 
 
 私は天皇がそれほどまでに聖人みたいな人格者で、知力も人並み優れているとは思わないが――

 しかし人並み優れて善良な男性だったということくらいは、思ってもいいのではないかと思う。

 そして加えて、202年ぶりの生前譲位をするという決断は、結果的に「大当たり」だったのである。

 
 それでは、去りゆく王に、花束を――

 と言ったらこれまた不敬なことかもしれないが、そういう気持ちになっている国民は非常に多いはずである。

悠仁さまの席に包丁2本を置く男あらわる-あえて「暗殺ほのめかし」でニュースになりたいソフトテロ?

 4月26日、お茶の水女子大付属中学校に一人の男が侵入し、秋篠宮家の長男である悠仁さまの席に包丁2本を置いて帰ったという。

 その包丁は刃の部分がピンクに塗られ、2本を並べるようにアルミ棒の先にテープで巻かれていたという。

 その槍のようになったものを、悠仁さまの席と隣の席に橋を架けるように置いていたらしい。

(⇒ 産経新聞 2019年4月27日記事:悠仁さま机にピンク塗った刃物 作業員風の男、正門通過 お茶の水女子大付属中)

 

(⇒ テレ朝ニュース 2019年4月27日記事:棒の先に槍のように 包丁2本が悠仁さまの席に)

 
 なんでもお茶の水女子大付属中はお茶の水女子大学のキャンパス内にあり、その出入口には検問所みたいなものもあるが――

 男は工事業者を装って、力づくでも忍び込みでもなくキャンパス内に侵入することができたらしい。

 しかし悠仁さまはクラスの授業でその教室に不在であり、最悪の事態は免れた。


 はたしてこれが最初から悠仁さまを狙った犯行だったのか、

 最初から「包丁を置いていくこと」だけが目的だったのか、

 もちろん現時点では何とも言えない。

 しかし、あらかじめ包丁の刃をピンクに塗っておき、テープとアルミ棒も用意していたという点から――

 初めから殺人の意図はなく、(常人には却ってよくわからないことではあるが)包丁を置いていくことだけが目的だったとも思える。

(そして実際、生徒らの姿を求めて徘徊したりもしなかったようだ。

 なによりも殺人は犯されていない。)


 一方で、わざわざ「大学の中にある中学校」を狙うところは、初めから悠仁さまがターゲットだったとも思える。

 それにだいたいの犯罪者は、中学校より小学校を目指すものである。

 とはいえ、もし悠仁さまがターゲットでなく、そもそも悠仁さまがその中学校にいるということさえ知らなくても――

 あなたがもしこの侵入者で、たまたま入った教室の生徒の机に「秋篠宮悠仁」なんて書いてあったら、それはその机を急遽ターゲットにするのは「人情」というものである。

 いずれ犯人は逮捕されるに決まっているので、そこのところの真相は聞いてみたいものだ。


 今回の件で「警備がザル」であることを非難するのは容易い。

 こんなことじゃ天皇家の一員でさえ簡単に暗殺されるじゃないか、と騒ぐのも容易い。

 しかし言うまでもないが、暗殺というのは仕掛ける側にとってとても有利なゲームの一種である。

 要塞のような所に四六時中閉じこもっているならともかく、外に出て生活を送る以上、狙う隙は必ずある。

 むしろ我々は、要人の暗殺が世界中でこんなに少ないことに驚くべきではあるまいか。

 それはたぶん、暗殺してやろうとまで思い詰める者がまず少なく、暗殺計画を立てて準備するような根気のある者がまた少ないからだろう。


 しかしここに、「現代病」とも言えるような、「あえて暗殺未遂して名を上げる」という動機がある。

 正確に言えば、「初めから暗殺する気はないが、暗殺をほのめかすようなことをして有名になりたい」という動機のことだ。

 人を殺さないのだから、死刑はならないのはわかっている。

 暗殺する気が本当に初めからないのだから、刑期も短くて済むだろう――

 現代日本に生きる人なら、これくらいの予測は誰でも立つはずである。

 もちろんその中には、何とかして有名になりたい、たとえ匿名であっても世間を騒がしたくてたまらない、という人が必ずいるのだ。

 そういう場合の「ターゲット」として、確かに皇室のメンバー以上のものは日本にはないだろう。


 おそらく、この手の「ソフトテロ」「ニュース化のための低強度テロ」は、これからの日本で大きく増えていくはずである。

 そのターゲットには、有名人であれば誰でもなる可能性がある。

 「自分のことがせめて一度はYahoo!ニュースに載りたい」という願望が抑えきれない一般人の裾野は、増えていく一方のはずだから……