プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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人を殺して人生を終わらせたい人への提言-学校保護者会会長の児童殺しと「住民恐怖の暴言おじさん」

 千葉県松戸市で起こった小学生児童殺し(ベトナム人のレェ・ティ・ニャット・リン(当時9歳)さん)の犯人として、その児童の通う小学校で保護者会長を務めていた渋谷恭正(しぶや やすまさ。46歳)容疑者が逮捕されたことが、世間にショックを与えている。
 しかしこれまた毎度のことだが、1ヶ月も経たず忘れられるに違いない。
(このニュース化社会で、殺人事件1件にかかずらっているヒマはないのだ。世間一般人にもマスコミにとっても。)
 
 そしてこれはAbemaTimes4月17日記事で知ったのだが――
 京都府の落盛雄(おち もりお。64歳)なる人物が、自宅周辺で怒鳴り声を上げて住民を怯えさせているらしい。
 彼は2016年11月に逮捕されるまで104回もの110番通報を受け、京都府迷惑防止条例違反で執行猶予付き有罪判決を受けて2017年2月に釈放されるや、また暴言を繰り返す。
 その暴言は、
「思い知らせたる、アホンダラ、おのれ絶対に許さんぞ!」
「ごちゃごちゃ言わんとよ、110番する前にオレのところに来い!」
「前科1犯にまでさせやがって、その気持ちがわかるか! 思い知らせたる!」
 などである。
 動画も今は見ることができるが、まぁ何というか絵に描いたような品のないオッサンで、非常に人相が悪い。
 今度は脅迫容疑で逮捕されたが、容疑は否認しているとのこと。
 むろん住民は「また帰ってきたら……」と不安に思っている。

 さて、殺人者や異常性愛者(のうち、実践者)が何食わぬ顔して世間で暮らしていることは、みんな周知の事実である。
 ある程度の社会的地位のある者が凶悪犯罪に手を染めているのも、そんなに珍しいことではない。
 渋谷恭正は自ら望んで保護者会長に就任し、通学中の子どもの「見守り活動」も積極的に行っていたという。
 それが世間にショックを与える要因なのだが、当然ながらどこの学校のどこの保護者にも、ヘンなのや犯罪者(まがいの人間)がいるものである。
 いや渋谷の他の保護者たちは、彼が進んで保護者会長になろうとしたこと自体、疑ってかかるべきだったかもしれない。
 なんとなれば、保護者会長だのPTA会長だの、普通はなりたくないものだからだ。
 そんな役職には就きたくない、誰か他の人がやってくれ・やるべきだ――それが現代の「普通の人間の心」なのである。
 しかしやはり、それだけでこの男が幼児性愛者で、殺人までやる人間だと見抜くことはできないだろう。
 いくら学校にはロクデナシの親が多いからといって、ここまで極端な悪人は確かに極めて稀だからである。

 翻って落盛雄のような「迷惑人間」は、それこそ全国津々浦々にいると思われる。
 そういう人間のニュースを我々は間欠的に聞くのだが、それは氷山の一角で、実数ははるかに多いのだろうとは誰でも思うことである。
 この手の人間に社会は(地域社会は)どう対処したらいいのか、若干の思いつきをかつて書いたことがある。
 

 そしてもう一つ思いつくのは――
 「人を殺して人生を終わらせたい」とか「最後にメチャクチャしたい」と思っている人は、まさにこういう迷惑人間をターゲットにすべきではないか、ということである。
 最近で言えば射場健太(いば けんた。32歳)なる男が、ナイフと竹刀を持って保育園に乱入する事件があった。

 射場健太はまさに、この手の迷惑人間を襲撃すべきではないだろうか。
 それは保育園児を襲って殺すより、はるかに生産的なことであるはずだ。
(それどころか、明らかに感謝と賞賛を受けるだろう。当の迷惑人間の近しい親族からさえも。

 もちろんそれには手間がかかる。まずターゲットの住所を知らねばならないが、職もなく他にやることもないのであれば、時間をかければできることだろう。
(なんたって、相手は「名物男」なのである。)
 そして犯行後に動機を明かす――
「報道を見て、付近住民の皆さんの恐怖を見かねてやりました。僕は死んでもいいと思っているので、悔いはありません」と言うのである。
(昔のように『斬奸趣意書』を懐に忍ばせておくのは、少しやり過ぎとみられるかもしれない。)

 これはひょっとすると、一躍ヒーローになるチャンスである。
 付近住民やそれ以外の人たちから、減刑嘆願書の署名が多数集まるのも夢ではない。
 そしてこのニュースが広まれば、全国の迷惑人間は恐れをなして乱行を控える、というのも夢物語ではないだろう。
 それは新たなる抑止力の誕生であり、その余慶は測りがたいほど巨大ではないか?

 やれ自暴自棄になったからって保育園や小学校を襲うのは――
 そういう事件がありふれたことになってしまったこの時代、「凡百のカス」のやることである。
 日々のニュースに耳を澄ませ、どれかの迷惑人間をターゲットに決める。
 そんなことをしていれば、生活に張り合いと目標ができるかもしれない。
 そして事を成し遂げた暁には、時代の求めるニューヒーロー誕生ということになるかもしれない。
 別にそういうことを扇動しようというのではないが――
 しかし今に至るまでなぜ誰もそんなことをしないのか、あるいはしようとも思わないのか……
 あなたもいささか不思議に思うとともに、そんなことがあったらいいなと期待もするのではないだろうか? 

 

アメリカのシリア攻撃と「ロシア・プーチンへの過大評価」

 4月6日(日本時間では4月7日)、アメリカは地中海の艦船から巡航ミサイル59発を発射し、シリアの軍事施設を攻撃した。

 シリアのアサド政権が、同国北西部での反政府勢力への攻撃に化学兵器を使用したことへの報復だとされる。

 これにより、アサド政権を支持してきたロシアとの関係悪化は避けられなくなったとも報道されている。

 さてロシアと言えば、昨年のアメリカ大統領選挙において、サイバー攻撃による選挙干渉を行なったと言われている。

 しかもそれは何と、トランプを大統領にしようとの意図からだという。


 これは常々感じていることなのだが、どうも日本人はロシアという国――そしてそのトップであるプーチン大統領という人物を、相当過大評価しているのではないかと思う。

 ロシアについてはしばしば「おそロシア」などと言われるものの、中国・韓国・北朝鮮への態度とは違い、そこに「嫌いだ」とか「劣ってる」という感情は非常に希薄なようである。 

 またプーチン大統領と言えば「怜悧で恐ろしい男」というイメージであり、これもまた北朝鮮のトップ金正恩キム・ジョンウン)への態度とははっきり異なる。

 多分日本のネットユーザーに「世界主要国のトップで最も頭が切れて恐ろしいのは?」というアンケートを採れば、ダントツでプーチンが一位だろう。

 だが果たしてプーチン大統領とは、そんなにもずば抜けて頭のいい男なのか?

 
 ロシアがトランプを大統領にしようとした意図は、もちろん私などにわかるわけがない。(もし選挙干渉の話が本当だとしたら、の話である。)

 しかしヒラリー・クリントンドナルド・トランプのどちらが御しにくいかと言えば、それはもちろんトランプの方ではないだろうか?

 トランプは「自分はロシアのプーチン大統領を尊敬している」と言ったらしいが、そりゃ「軽蔑している」なんて言うわけがない。

 自分のファンがアメリカ大統領になればそりゃ都合がいいに決まっているが、トランプが個人としてプーチンのことを好きだとしても、アメリカ大統領としては必ずしもそういう行動を取るわけにいかないというのも、わかりきったことである。

 そしてもちろん、「可愛さ余って憎さ百倍」という現象が多くの人間に生じ得ることも、簡単に予測できるものだ。

 もしプーチンが本当にトランプにアメリカ大統領になってほしいと考えていたのだとしたら、今回のシリア攻撃は何なのだろう。

 それは非常にトンチンカンなことをしていた、ということにならないか?

 なおロシアは、トランプの弱みを握っているからこそトランプの大統領就任を望んだ、という説もある。

(かつてトランプがロシアを訪問した際に売春婦と寝た、などという弱みである。)

 しかし、そんな話が広く語られているのであれば、これからトランプにどんなスキャンダルが起こっても「それはロシアの陰謀だ」と言い抜けられる道を作ることになる。

 またロシアがいよいよトランプの醜聞を暴露したとなれば、それは結局「ロシア=恐喝者」のイメージを世界中の人に植え付けることにもなろう。

 そして根本的なことなのだが――

 ロシアがアサド政権のような政権(もちろん北朝鮮と同様、世襲独裁政権)を支持せざるを得ない立場にある、ということ自体、その外交戦略(少なくとも中東戦略)がそんなにうまくは行ってない証拠のように見えてしまうのだ。

 プーチンが頭がいい、というのは事実だろう。

 政治家に必要とされる冷酷さを持ち合わせているのも事実だろう。

 しかし彼の出身であるKGBソ連秘密警察)だが――

 我々はアメリカのCIAやFBIが欠陥だらけで無能でさえあるという話をよく聞かされるが、それが本当ならKGBについてもそれがまた真であった、と考えるのが普通ではないか?

 何かこう我々は、ロシアの情報機関やプーチン大統領というものについて、非常に大きな買いかぶりや神秘性付与を行なっているように思えてならない。

 今回のトランプのシリア攻撃までも「プーチンの読みのうち・掌の上」と解するのは、ほとんど贔屓の引き倒しではないかと思うのだが、どんなものだろう?

銃剣道の普及のために-それは「最強最新の武道である!」とアピールする

 さて私は銃剣道の愛好者でも何でもないのだが、今はマイナージャンルである(としか言いようがないだろう)銃剣道が普及・発展するための案をいくつか出してみたい。

 まず何と言ってもネックなのは、「銃剣道」「銃剣」という言葉の響きの悪さである。

 銃剣なんて世界中の軍隊が採用してきたのだが、しかし現代日本人が銃剣と聞いて思い出すのは、一も二もなく旧日本軍のことなのだ。

 おそらくこれは、日本とアメリカが昔戦争したことさえ知らないような若者でも、やっぱりそうなのではないかと思えるほど強烈なイメージである。

 そしてむろん、「旧日本軍=銃剣=他国への残酷な仕打ち=悪の象徴・軍国主義の象徴」といった公式が頭の中で描かれることになる。

 それが左翼に凝り固まったイメージだとしても、では他に思い浮かぶ公式と言えば――

「旧日本軍=銃剣突撃=バンザイ突撃=精神主義=兵士が死ぬばかりで勝てない」という、どうにもこうにもマイナスイメージなものでしかない。

 そう、「銃剣突撃」は、旧日本軍の象徴であり名物である。

 銃剣突撃と聞いてイギリス軍や中国軍、アフリカのどこかの軍隊を連想する日本人はほぼ一人もなく、絶対間違いなく旧日本軍を思い浮かべる。

 しかしこれ、逆に言えばスゴいイメージ喚起力ではないだろうか?

 そしてこれは、「銃剣道なんて武道ではない。そもそも明治以後に西洋から入ってきたものじゃないか」という論に対する、強力な反証にもなっている。

 だって少なくとも現代日本人の間では、銃剣と言えば日本なのである。

(つまりある意味、日本を最も象徴する武技とさえ言える。)

 これはもう、「新しい伝統」とでも言うべきではないか?

 そこで二つ、銃剣道を世界にアピールするフレーズが思い浮かぶ。


(1)銃剣道は「日本最新の武道」である。

(2)銃剣道は「和洋融合の武道」である。


 実際、海外展開することは銃剣道にとって、最も有効な普及手段ではないかと思われる。
 
 例えばその英語名称を、


(3)「ガンソード・ファイティングアーツ」もしくは「ライフルソード・ファイティングアーツ」とする。


 というのはどうだろう?

 もちろんこれは、ふと思いついた和製英語に過ぎない。外国人にとって滑稽に聞こえるのかどうか、私は知らない。

 しかし「日本には、剣道・弓道などと並ぶ最新・独自の武道、ジューケンドーというのがあるらしい」 

 と外国人にアピールするのは、まんざら効果がないわけでもあるまい。

(偶然だが、ブルース・リーの創始した「ジークンドー截拳道)」と極めて音が似通ってもいる。)

 あの銃剣がブドーになるのか、と意外性を感じ、そこから銃剣道を習い始める外国人だって皆無ではないのではないか?

(だって外国には、「忍術」を習う人が結構いるのだから……)


 そして日本においては、海外で銃剣道をたしなむ外国人の姿を映像で流す――つまり逆輸入するのである。

 日本人は外圧に弱い、と言われるが、「海外で大ヒット!」というフレーズに弱い面は確かにある。

 外国人が大勢習っているのであれば、日本人が「銃剣」に抱く悪いイメージも緩和されることが期待される。

 そして国内向けとしては、


(4)銃剣道の「カッコ良さ」と「実用性」及び「最強説」をアピールする。


 のがよいかもしれない。

 そもそも銃剣とは、クールな最強性を人に(男子に)抱かせて然るべき武器である。

 なにせ「銃」と「剣」という、人類史上の二大武器――それも映画やゲームで大活躍する大人気の武器が、合体・融合しているのだから。

 ヨーロッパの戦場から槍兵を駆逐したのは、銃剣の登場と普及だった。

 火器以外の武器で最強なのは「槍」であるとよく言われる(刀はその足下にも及ばないとされる)が、銃剣はそれすらも消滅させた。

 タマも撃てるし剣・槍の代わりになるともなれば、これはもう最強と言って当然ではないか?


 そして前記事で述べたように銃剣道は事実上、道具を使う武道としては、剣道・なぎなたよりもはるかに護身術として有効だと思われる。

 「突く」という動作に特化し、基本的には非常にシンプルで習得しやすいからである。

(むろん、バカみたいに簡単だという意味ではない。)

 「実戦では“斬りつける”なんて動作は通用しないのじゃよ、お若いの」

 とか銃剣道の達人老師が微笑んで言う格闘漫画があれば、それはそれで結構リアリティを感じるのではないだろうか?

(ちょっとこれは、自信がないが……)


 最後に、「銃剣道=人殺しの訓練」という拭いがたいイメージについて。

 あるいはこれは、単に銃剣道の歴史が浅いからに過ぎないだけなのかもしれない。

 なにせ剣道も弓道も、人殺しの技術であった歴史は銃剣道のそれよりはるかに長いのに――

 今そんなことを真顔で言って剣道・弓道を指弾する人は、異常者扱いされるからである。

(ただし、「エホバの証人」の信者は例外かもしれない。

 エホバの証人信者の少年が学校の授業で剣道をやらされるのを拒否し、その代わりの課題を与えなかった学校の対応は違憲である、とした最高裁判例がある。)

 我々は、剣(刀)や弓で人を殺し戦争を行った時代から、遠く離れた時代に生きている。

 しかし銃剣を使って人を殺し戦争した時代からは、まだそんなに離れてはいない。

 もし銃剣道がこれからもそんな「時効」を迎えず、相変わらず忌まわしい人殺しの道具扱いされるのだとしたら……

 それは銃剣がいまだ戦争で使われる時代が続くからだろうし、逆説的に言えば、銃剣がこれからも実戦で有効だということを示しているのかもしれない。